キャサリン・オブ・アラゴン/1530年作者不詳
ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵
1533年5月23日カンタベリー主教クランマーによって、キャサリンとヘンリー8世
の結婚は無効であった、と宣言され、翌年の11月、正式にキャサリンの王妃の称号
が剥奪された。それ以降、公式には「アーサー皇太子未亡人」と呼ばれる事になる。
キャサリンは、アンが日の出の勢いで王妃への道を邁進している頃、宮中から追放され、
アントヒルに監禁された。その後1534年5月、キムボルトン城へと移送された。
その年、愛人アン・ブーリンは国民の反対を押し切って王妃になっていた。
アンの策謀により、一人娘メアリーを奪われ、アンの生んだ第2王女エリザベスの
王位継承を認めるよう迫られたが、命をかけて拒否した。
そして1536年1月7日、最期まで側にいた侍女マリア・デ・サリナスの腕の中で、
息を引き取った。死因は癌、心臓病、あるいはアンとヘンリー8世による毒殺なのか、
はっきりしない。アン・ブーリンに好感を持つ歴史家は必死でキャサリンが病死で
あった、と主張しているが、その一方、アン・ブーリンがキャサリンを「毒殺したい」
と日頃から口にしていたのも事実であった。もしアン・ブーリンが王子を産んでいたら、
キャサリンとメアリー母娘は、反逆罪の濡れ衣を着せられ、処刑されていた事は間違い
ないだろう。
幸か不幸か、アンが最初に生んだのは娘エリザベス(後のエリザベス1世)だった。
アンはキャサリンの死の知らせを聞いて、侮蔑を示す黄色いドレスに身を包み
ヘンリーと手を取り合って喜びのダンスを踊ったという。
キャサリンは自分が日増しに衰弱していく中、死を予見し、どんな仕打ちを受けても
最期まで愛し抜いたヘンリー8世に、遺言ともいえる手紙をしたためた。
「My most dear lord, king and husband,
私の最も愛するロード、王よ、そして我が夫よ
、
「The hour of my death now drawing on, the tender love I owe you forceth me,
my case being such, to commend myself to you, and to put you in remembrance
with a few words of the health and safeguard of your soul which you ought to
prefer before all worldly matters, and before the care and pampering of your body,
for the which you have cast me into many calamities and yourself into many troubles.
For my part, I pardon you everything, and I wish to devoutly pray God that He will
pardon you also. For the rest, I commend unto you our daughter Mary, beseeching
you to be a good father unto her, as I have heretofore desired. I entreat you also,
on behalf of my maids, to give them marriage portions, which is not much, they being
but three. For all my other servants I solicit the wages due them, and a year more,
lest they be unprovided for. Lastly, I make this vow, that mine eyes desire you
above all things
Katharine the Quene」.
「私にも最期の時がやってまいりました。優しい愛が、あなたへの義務を果たします。
このような場合ですから、あなたに対して、あらゆる雑事よりも、あなた自身の身
よりも、あなたの魂の安全と健康とを心がけるようお願いするために、わずかな
言葉をあなたの記憶の中に残したいと存じます。
あなたは多くの災いとトラブルとを、私に投げかけましたけれど、私は全てを赦し、
神もまたあなたをお赦し下さいますよう、信心深くお祈りいたします。
我らの娘であるメアリーのために、良き父であるようお願いいたします。
また、侍女たちを代表して、彼女たちのために、多くとは申しませんから、どうぞ結婚
資金を用意してあげて下さい。また、一年に渡って無償で私に仕えてきた下僕達にも、
給料をお支払い下さいますように。
最後に、私の目があなたの姿を一目見たいと何よりも望んでいることを、お誓いします。」
署名 キャサリン王妃
(キャサリン最期の手紙1536年1月7日/くに訳)
キャサリンの遺体は、キムボルトンから40キロ離れたピーターバラ聖堂に葬られた。
その葬列には、ヘンリー8世に禁じられていたにもかかわらず、一般市民500人が参列し、
キャサリンへの敬意と哀悼を捧げたという。
今その墓標には、誇り高く「英国王妃キャサリン」と掲げられている。
生前キャサリンを足蹴同然にしながらも、最後は反逆者として抹殺され、まともな
墓すら持てなかったアン・ブーリンとは、あまりにも対照的であった。
「Katheren Queen of England」の墓碑
ピーターバラ聖堂/Lara E. Eakins撮影
参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor World Leyla . J. Raymond
Tuder History Lara E. Eakins
The Tudors Petra Verhelst
薔薇の冠 石井美樹子著 朝日新聞社
英国王妃物語 森 護 三省堂選書