〜若草萌えて〜
           9日間の女王/ジェーン・グレイ
                Jane Grey
               (1537〜1554)

              
                
グレイ家系図
                   グレイ家人物一覧

ブレイドゲート(Bradgate)・・・ロンドンの東、レスターから約8キロ、
小高い丘から谷へと傾斜していくあたりに、グレイ家の所有する館があった。
赤いレンガ作りのチューダー王朝風の館は、1537年当時は、まだ新築7年目
であった。
周囲は楡やブナの林で囲まれ、館へと続く丘の斜面には、一面ヒースが風に
そよいでいた。テラス式の庭園には、ヨーロッパグミの木や薔薇が茂り、睡蓮の
浮かぶ池には金魚が泳いでいた。
その池で、幼いジェーンはあやうく溺れかけたという。

グレイ家には3人の娘がいた。
長女ジェーン(1537年生)次女キャサリン(1540生)三女メアリー(1545生)。
父はドーセット候(後にサフォーク公)ヘンリー・グレイ。
母は国王ヘンリー8世の妹メアリーの娘/サフォーク公女フランシスだった。
1551年、フランシスの実家を継いでいた異母兄が亡くなったため、サフォーク公家
の爵位は、ヘンリー・グレイのものとなった。
このグレイ家、先祖を辿れば、エリザベス・ウッドビルが前夫との間にもうけた息子
であった。エリザベスの、2度目の結婚で生まれたのが、今の国王ヘンリー8世の母親
エリザベス王女である。
3姉妹の父母、どちらの系統を辿っても王室とは、深いつながりがあった。

三女のメアリーは、生まれながら背骨が曲がっている障害があったが、上の二人の娘
は健康だった。ジェーンは、英国人にしては小柄で、白い肌には淡いソバカスがあった。
ジェーンの幼年時代は、ヘンリー8世の娘たちより、ずっと王女らしかったといってもよい。
何よりも、誰におびやかされることなく、父母の愛に包まれて成長したことは、女王エリザベス
より遥かに恵まれていた。だがその反面、あまりに恵まれた環境が、ジェーンを現実離れした
夢見がちな優等生へと変えていった。

読み書きなどの教育は、3、4歳の頃から始まっていた。早朝6時のお祈りを済ませ
パンとエール、肉などの朝食をとった後、夕食までギリシャ語とラテン語の授業が
あった。夕食が済むと、音楽や読書、ダンスにお裁縫、そして9時には就寝。
週に一度はハンティングに行くか、近郊の町レスタ−まで出かけて行ったという。
             
            
(1700年代のブレイドゲートの眺め/ L. Knyff作)

平和で単調な日々が流れて行った。ジェーンは6歳で聖書を読めるようになり、7歳で
フランス語、イタリア語など4ヶ国語の授業が始まっていた。
考えてみれば、授業はほとんど語学のみ、後はせいぜい宗教哲学か歴史、体育(ダンス、
乗馬)ぐらいである。単語は違えども、文法的には大した違いも無い。
語学が達者になるのは道理であった。というか、混血社会であるヨーロッパでは、上流
階級は必然的にバイリンガルであった。
(もっともフランス王室は18世紀まで、頑ななまでに英語を拒んでいた)

1545年、ヘンリー8世が死ぬと、ジェーンと同い年の少年王エドワードが即位した。
翌年グレイ夫妻は、宮廷デビューのために、ジェーンをヘンリー8世の第6王妃だった
キャサリン・パーの元へ預けた。
というのも、キャサリンの再婚相手のトーマス・シーモアがグレイ家に2000ポンドを
支払って、面倒を見させて欲しい、と頼み込んだからだった。
トーマスは少年王の叔父でもあった。グレイ夫妻にとっては、願ってもない申し出
だった。

このトーマスなる男、同時にエリザベス王女(後の女王)も引き取っていたが、孤児同然
という環境につけこんで、手を出したという。エリザベスは、トーマスに抱かれている
ところを見つかったために、館を追い出されるはめになった。
ジェーンの場合は両親が健在だったために、さすがに手を出すことはできなかったが、巧み
にグレイ夫妻の耳に、ジェーンと少年王との結婚の可能性を囁いた。
「私には、陛下がジェーン姫以外の方とは結婚なさらない、と保証する勇気がありますよ。」

1548年8月、キャサリン・パーが出産のために死ぬと、なぜかジェーンが喪主を務めたと
いう。トーマスは兄サマーセット公との権力闘争に夢中で、死んだ妻のことなど頭になかった
らしい。だが、半年後の1549年3月、兄の手で処刑されてしまった。
ジェーンは、再び実家のブレイドゲートに戻って来た。
エリザベスはサマーセット公に憎まれ、しつこくトーマスとの中を詮索されたが、ジェーンは
無事だった。

ジェーンはよく勉強した。実際、エリザベスの教師だったロジャー・アスカムが絶句するほど
優等生だった。だが、その知識には大きな偏りがあった。ジェーンは大切に育てられ過ぎた
ために、人間そのものを学ぶ機会がなかった。いかに人の心を読むか、いかに危機に際して
対処するか、現実的な方法を知らな過ぎた。天使のように理想世界をふわふわ漂うだけで、
ふと気付いた時には、陰謀の泥沼に足首を取られていた。にっちもさっちもいかなくなって、
ただ泣くばかりだった。
エリザベスのように、歯を食いしばって生き残る道を模索するような、強さはなかった。

      

         

                
        ステンドグラスのジェーン/サデリー城聖メアリー礼拝堂

「それ」はジェーンにとって寝耳に水だった。
1553年5月、グレイ夫妻は娘を呼びつけ、いきなりノーサンバーランド公の息子/
ギルフォード・ダッドリーとの婚約を告げた。
「私、ハットフォード伯が好きだったのに・・。」
ジェーンは弱々しく抵抗した。
「だいじょうぶ、今までの生活は変わらないわ。勉強だって続けていいのよ。」
母親はそういって説き伏せた。

世間知らずのジェーンがろくな抵抗もできないうちに、縁談は瞬く間に決まった。
3週間後(諸説あり)5月21日、ノーサンバーランドの館、テームズ川岸の
ダーラム・ハウスで結婚式が行われた。その日、3姉妹は合同結婚式をあげた。
次女キャサリンはヘイスティングス卿と。(翌年離婚)
三女メアリーは従兄弟のアーサー・グレイと。
花嫁衣装は、王室のものを使用した。ジェーンは、緑のベルベットのドレスに金欄の
マントを身にまとい、美しかった。新郎ギルフォードは、少年王の騎馬試合に出場
するために、式の直後に宮中へ行ってしまった。
ジェーンは両親が自分をダーラム・ハウスに残して帰ろうとするので、驚いた。
「ブレイドゲートに帰ってはいけないの?。」
「何ですって!!。」
姑のノーサンバーランド公妃は、激怒して叱ったという。ジェーンは亀の子のように
首を縮めて、うなだれた。

少年王エドワードは元々虚弱な上に、持病の結核が重くなり、日に日に衰弱していった。
ノーサンバーランドは、瀕死の少年王に詰めより、異母姉のメアリーから王位継承権を
剥奪するように説得した。
「カトリック教徒のメアリーが即位したら、かならず新教徒が迫害されます。」
御前会議で、王位は二人の異母姉ではなく、「フランシス・グレイの子供達」即ちジェーン
ら3姉妹に順番に譲られることが決まった。

1553年7月6日、少年王は崩御した。二人の貴族がジェーンの前にひざまづき、王の崩御
と、王位継承を告げた。ジェーンはただただ赤面して俯いていた。
グレイ夫妻は、「女王になったのよ、認めなさい」と励ました。
大蔵大臣ウィリアム・ポーレットが王冠を差し出すと、ジェーンは狼狽して震えながら泣き
出した。
「私は・・・私は女王なんかじゃありません。王冠は受け取れません。」
王の死後4日目には、戴冠式のためにロンドン塔へ移った。群衆に姿を見せるために、小柄
なジェーンはチョビン(靴の下につける上げ底)をつけて水門から塔内に入った。
チューダー家の印である緑と白のドレスをまとっていた。
しかし群衆は、困惑するばかりで、歓声をあげる者いなかったという。
一方王位継承権を剥奪されたメアリー王女は、身の危険を感じてノーフォーク州へと逃れた。
エリザベス王女は、情勢を静観する構えで、沈黙していた。

ロンドン塔内のホワイトタワーに入ったジェーンは、夫のギルフォードから、自分を王にして
くれ、と頼まれた。
「私、女王でないのに、そんな事無理です。かわりにクラレンス公ではダメかしら。」
息子が王になれないと知って、姑ノーサンバーランド公妃は怒り出した。

同じ頃議会は反ノーサンバーランドで意見が一致した。かれらはジェーンの王位を否定し、
メアリー王女こそ正当な女王だと発表した。その知らせに、ジェーンの母フランシスと
ノーサンバーランド公妃は口惜しさにすすり泣いた。
それから数日間、すなわち7月11〜13日の間、ジェーンはストレスのために寝込んでいた
らしく、巷には姑に毒殺された?という噂が流れた。

7月14日、いよいよ反撃のためにメアリー王女が挙兵したとのニュースが流れると、興奮した
群衆が、メアリー支持を叫んでロンドン塔に殺到した。
ジェーンは塔の入り口を閉めさせて、中に閉じこもった。

4日後、ついに敗北を悟ったジェーンの父/ヘンリー・グレイは、娘に王位を放棄するように
手紙を送りつけた。ヘンリー・グレイがロンドン塔へ来てみると、ジェーンは一人玉座に
座っていた。
「もうおまえは、そこには座れなくなった。こっちへおいで。」
「お父様!もう私は家に帰ってもいいんですね!」
ジェーンは嬉し泣きとも悲しみともつかない涙を流しながら、父親に抱きついた。
しかし7月20日、ジェーンは女王の滞在するホワイト.タワーから、一転して囚人として、別
の塔へ監禁された。そこに残酷にも、王冠を差し出したと同じ大蔵大臣ウィリアム・ポーレット
が現れ、王冠の返還、ならびに無くした宝石を弁償するように迫った。ジェーンは王冠ととも
に、自分の金貨をすべて渡したという。

ノーサンバーランド公も反逆者として、ロンドン塔に投獄された。彼はメアリー女王に助命すべ
く、新教徒からカトリック信者になると申し出たが、メアリー女王の怒りは治まらなかった。
結局努力は無駄に終わり、8月23日、処刑された。

ジェーンは女王の使者に向かって語った。
「許して下さいね。ノーサンバーランド公は悲しい災難と悲劇を運んできました。でも彼の改心に
よって他の人が救われたと期待したいのです・・・・。」
メアリー女王がジェーンを憎んでいたとは思えない。何しろグレイ家は、自分にも同じ名前を与え
てくれた、最愛の叔母の家族なのだ。叔母はメアリー女王の母/キャサリンの親友でもあった。
国王から離婚を告げられた時も、必死で庇ってくれた。感謝の気持ちはあっても、憎む気にはなれ
なかったにちがいない。
もし何事も起こらなければ、ジェーンは故郷ブレイドゲートにもどり、また静かに勉学の日々を送
れたかもしれない。

もし何事もなければ。

            
       ディケンズの著書/子供のための世界史(1875)の挿絵
               ロンドン塔の中のジェーン

 

トマス・ワイアット。この男の気の荒さには定評があった。
彼はケントの豪族として、父親から広大な領地を相続していたが、故郷でじっとしている
ような男ではなかった。ロンドンでは暴動鎮圧のおり、上官であるハワードに逆らった廉
で投獄されている。

その後許されてヨーロッパを周遊し、おそらく1549年頃帰国した。
時の権力者ノーサンバーランド公に対して、ロンドンの治安維持について提言をしたものの、
ノーサンバーランドの失脚でご破算となった。
ジェーンが即位した時には、ロチェスターでメアリー支持の宣言を出した。
気性は激しく排他的な愛国者。彼がいつ頃からスペイン人を憎み始めたかは定かではない。
一説によれば、スペインを旅した時、地元の教会関係者から恐迫されたからだともいう。

1554年1月、メアリー女王がスペイン王子フェリペとの結婚を発表すると、愛国者達は一斉
に反発した。中でもワイアットはケントのロチェスターを本拠に、4000名を率いて挙兵した。
いわゆる「ワイアットの乱」である。
反乱軍は、国民からまったく支持されず、ロンドンへの入場すら阻止される有り様だった。
しかし強引にゲートを通過したワイアット勢は、女王のいる聖ジェームス宮殿を目指して失敗
し、2月7日、捕えられてロンドン塔に送られている。

悪いことに、この反乱に、ジェーンの父/ヘンリー・グレーが関与していた。
ヘンリーは藁の下に身を隠しながら必死に逃亡したが、自分の領地に逃げ込む寸前で捕えられた。

夫を熱愛していた妻フランシスは、半狂乱になって女王に泣きついた。
しかし今まで、明らかに反乱を企てた者が許されたためしはない。
いくらメアリー女王といえども、見逃すことは難かしかった。
だが、メアリーには君主として、ヘンリーよりも先に倒さねばならない存在がいた。
裏切られた悲哀と苦渋のうちに、メアリーは「反逆者ギルフォード・ダッドリーと、その妻」の
処刑命令書にサインする。ヘンリー・グレイの浅はかな行為が、自身のみならず、娘のジェーン
の運命まで決定してしまったのである。

「お父様・・・・お父様、なんて事を。」
ジェーンは両手で顔を覆ってすすり泣いた。グレイ家は女系家族であり、父は唯一の男として、
一家の心の支えだった。母は娘たちよりも夫を愛していた。
その父が死ぬ。死んでしまう。そう思う時、ジェーンの全身から潮が引くように生きる力が失せて
いった。父が獄中で、娘のために嘆き悲しんでいると伝え聞き、ジェーンは手紙を書いた。

「愛するお父様、私はあなたによって死ぬことで、神様を喜ばせました。
 それによって、私の魂は生き延びるのです。神様は私に死をお与えになる
 かわりに、この悲惨な日々を終わらせて下さるのです。私には、あなたの
 お嘆きがわかります。神様の前で、私の血は、きっと無実を叫ぶでしょう。
            あなたの従順な娘ジェーン・ダッドリー」

ヘンリー・グレイの処刑は2月23日と決まった。ジェーンとギルフォードの処刑はそれよりも早く、
2月8日の時点で決まっていたものの、ずるずると延びる可能性が高くなった。メアリー女王は大権
をもってジェーンを特赦するつもりでいた。何しろジェーンはずっとロンドン塔にいたのだから、
実際反乱に加担することなどできるはずがないのだ。今回も前のように、名前を利用されただけでは
ないのか?
しかし、反逆罪が決まった人間を特赦するには、それなりの名目が必要だった。女王に絶対服従して
いるという証拠のようなものを・・・・。
メアリー女王は必死で頭をめぐらした。
愛する叔母の孫を、この手で殺したくはなかった

 

        
       ヒース【Heath】つつじ科の灌木でヘザーともいう。高緯度の寒冷な湿地に
         多く、夏から秋にかけて紫、赤、ピンク、白の花を咲かせる。
         ブレイド・ゲートにもヒースは多かった。この映像はスコットランド

(夏になったら、ヒースの花が咲く。)
ジェーンは故郷のブレイドゲートの野原を思い出した。
原生林を切り開いた野原に生えるヒースは、ツツジ科の花だけあって、初夏から夏にかけて、
美しい花が咲く。ブレイドゲートの館の前にも、ヒースの野が広がっていた。
父と母、妹たち。家族で馬に乗り、野原を駆け抜けた頃を思い出した。
もう2度と、帰ることはない。

2月8日、女王の特使フェキンハム博士が訪れて、女王の意志を告げた。
「陛下はあなたを特赦したいとお考えです。そのために、どうかカトリック信者になって、
 服従の証を見せていただきたい。そうすれば、処刑から終身刑へ変更なさるおつもりです。」

ジェーンは静かに考えた。仮にここで許されても、一生塔から出ることはできない。それに、
また誰かが知らないところで反乱を起こしたとしたら、また死の淵に立たされるのだ。
後何回、同じ目にあうのだろう。・・・・・生きている限り、それは続くだろう。
(死にたい。)
ジェーンは、つくづく思った。死んでしまえば、魂だけでも、あのヒースの野を駆けることが
できるような気がした。

「どんな宗教が正しいとか、そんな無意味な論争をしている時間はありません。女王陛下の
 お情けには感謝します。でも、もう生きていたくないのです。」
フェキンハム博士は、3日間だけ待つ、と伝えた。その間に連絡をくれたら、女王陛下は特赦
なさるでしょう。3日間だけ待つ、と。
ジェーンは首をふった。もう無意味な時間などいらない。

別の獄舎にいたギルフォードが、会いたい、と伝えて来た。
メアリー女王は、2人がよく話し合うように、と面会を許可した。
しかしジェーンは会わなかった。会えば、決意が弱まるだけなのだ。
かわりに手紙を書いた。

「もっとすばらしい世界で再会しましょう、ギルバード。その時には、私たちは永遠に1つに
 なって結ばれるの。」
「永遠に・・・・・。」
ギルバートが答えた。

2月12日、10時、ビーチャムタワーの窓から、ジェーンは処刑台に向かうギルバートの、最期
の姿を見つめていた。数十分後、血まみれのギルバートの体が板の上に乗せられて、運ばれて
きた。切断された頭部は、白い布で包まれていた。
「ギルバート!ギルバート!!」
ジェーンは泣き叫んだ。
「私、恐い、恐い・・・・恐い。」

1時間後、ついにジェーンの番が来た。ロンドン塔長官に手をとられて、ロンドン塔内にある、
教会前の小さな緑地へ向かった。
処刑台の周辺には、あのフェキンハム博士の、悲しげな顔もあった。
ジェーンは賛美歌を歌った。それから世話をしてくれた侍女のエレンに形見として、ハンカチと
手袋を渡した。エレンは泣きながらジェーンの頭の飾りとスカーフをはずし、マントを脱ぐのを
手伝った。処刑人はジェーンの前にひざまづき、許しを乞うた。5分間、静寂が続いた。女王か
らの、最後の特赦を待つ時間だった。しかし、誰も現れなかった。

5分後、ジェーンは自分の手で目隠しをしてから、パニックに陥った。
必死で手探りをしながら、助けを求めた。
「どうすればいいの?どこへ行けばいいの?」
見るに見かねて、立会人だった神父がジェーンを斬首台まで導いた。
ジェーンはやっと台をみつけると、小さくつぶやいた。
「神様、あなたを誉め讃えます・・・・。」

最初の一撃で斧は深く首にめりこみ、ショックで肉体は痙攣する。
さらにもう一撃で、切り損ねた腱を切断する。行き場のなくなった血は、切断面から激しくほと
ばしり、足元に敷き詰めた藁を深紅に染めた。

ジェーンの体はその場に4時間放置された後、正面にある聖ピーター教会に葬られた。1554年
2月12日、16歳と4か月の生涯だった。

             時代を反映したジェーン・グレイの想像図

       
    
  

        参考資料/
    The Tudor place by Jorge H. Castelli
    Tudor World Leyla . J. Raymond
    Tuder History Lara E. Eakins
    The Tudors  Petra Verhelst
    Lady Jane Grey Jane Lambert
    Lady Jane Jennifer Halligan